徳川家康(21)

慶長十九年の冬、大坂方は城の外に柵などを造って、関東方の大坂攻めに備えた。
だが家康は二条城にあって一向に動こうとしなかった。
太閤との昔からの誼で何としても戦だけは避けたい心情であった。
その家康の心中をよそに、冬の陣の火蓋は切って落とされた。
関東方のしつらえた大砲の威嚇によって一旦和議が成立したかに見えたが、それも束の間、時の勢いは夏の陣へと……。
慶長二十年(元和元年)四月、大坂夏の陣の火蓋は切って落とされた。
難攻不落の大坂城も、総濠を埋め尽くされては、城外に出て徳川勢に立ち向かうほかはない。
名だたる猛将達も相次いで斃れ、最後まで家康の心坦を寒からしめた真田幸村の軍勢も玉砕するや、大坂勢は崩をうって退却……。
秀頼と淀君は城中の籾蔵に難を避けたが自害。
豊臣家はついに滅亡した。
豊臣家滅亡の後、家康は大御所として幕府永続の方策を次々と実行に移すが、巷間には、松平忠輝と伊達政宗が謀叛を企んでいるという、不気味な噂が流れている。
家康は波爛にみちた生涯の総仕上げとして、忠輝に永対面禁止を命じ、政宗には鷹狩りに名を借りて呼び出し、無言の威圧を加えて臣従を誓わせる。
が、元和二年正月、病に倒れ、四月十七日、駿府城内で大往生を遂げる。
平凡な主婦の佳子にも、結婚すればそこには3人の敵がいる。
2人の新居を侵略してくる姑、母親がいるのをいいことに子連れで訪れワガママ勝手にふるまう義理の妹、ウワサ好きでスピーカーの義理の弟の嫁……。
愛する人との幸せな家庭を夢見たはずが、気付けばストレスばかりの毎日だった。
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